2022年5月、インド北部ウッタラカンド州に住む夫婦が、実の息子を相手取り訴えを起こしました。
内容としては、自分たちの息子夫婦が結婚して6年経つのに孫をつくらないことを理由に、1年以内に孫をつくらないのであれば5000万インドルピー(約8300万円)の損害賠償を求めるというもの。
パイロットを目指す息子の学費や留学費用に続き、結婚式や新婚旅行、マイホーム代などの多額な援助をしてきたというサンジーヴ・プラサードさん(61)と妻 サダナさん。
これまで大切に育ててきた1人息子が孫の顔を見せてくれないのは、“精神的苦痛”であるとしています。
インド(ヒンドゥー教)では、子どもが親の老後の世話をすること、女性が子どもを産み家庭に入ることなどが、ほぼ義務化されていると言っても過言ではありません。
現代では核家族化が進行し、共働きを望む夫婦が増えている一方で、古くからの道徳や倫理観が根強く残っているインドでこのような訴訟が起きました。
日本も以前は同じような社会でしたが、とは言え損害賠償を請求する感覚は全く理解できません。
法律も伝統も慣習も全く違う境遇ではありますが、固定概念を覆す世代の苦悩が伺えます。
夫婦2人で暮らしていきたい、子どもを産まずキャリアを積みたい、今はまだ子どもを産むタイミングではない…
子どもを産まない夫婦にはさまざまな考えがあると思います。
妊娠・出産に伴って母体には影響がでますし、女性は休暇を取らざるを得ません。
しかし、復帰後の立場が約束されているわけではありません。
趣味に費やす時間は削られ、お金もかかりますが、出産した以上子育ては放棄できません。
もちろん仕事やお金に換えられない喜びや感情があるという意見も理解できます。
しかし、子どもを産むということは「産む」「産まない」だけで完結できる選択ではないのです。
日本では出生率が年々下降し、政府が少子化対策に頭を悩ませているのは皆さんもご存じだと思います。
しかし、出産を選択しない夫婦はいて当然だと思いますし、“望んだ選択ができる=健全な社会である”と言えるのではないでしょうか。
(地方ではまだ孫がどうこう、跡取りがどうこう、そんな話も当たり前に存在するようですが…)
現在は人工子宮の研究も進んでいます。
女性のおなかの外で子どもを育てられる技術です。
これには賛否集まりそうですが、働く女性にはマストの「産休」が必要なくなる技術でしょう。
産休・育休をとる女性は昇進できなくて当たり前だとか、おなかを痛めて産まない母親は愛情がないだとか、女性は子どもを産むための機械であると思っている人たちが発する罵詈雑言は常に女性を傷つけています。
“女性は子どもを産み子孫を残すことが責務である”という概念から脱却しかけている日本と、産む・産まないの選択が許されない諸外国。
そして、人工子宮の誕生といった賛否が真っ二つに分かれてしまいそうな技術の発展。
自分が今もっている当たり前の概念とはどんなものでしょうか。
時代に沿ってアップデートできているでしょうか。
この記事が、妊娠・出産におけるさまざまな事象について考えるきっかけになってほしいと思います。
1996年、新潟県生まれ。
趣味は献血、フォロワー1人のインスタアカウント有。
日本一の抹茶アイスを作るため研究中。