人は時として間違ったことを言ったり、間違った行動をしたりします。
ミスの大きさ自体も問題にはなりますが、どういった立場の人が間違いをしたのかが重要になることもあります。
それに謝罪はつきもので、その態度や言葉にはより多くの人が注目します。
今回は、オリンピック選手の金メダルをかじった名古屋市長の話題を取り上げます。
■謝罪するに至る経緯
2021年8月4日、東京オリンピック・ソフトボール日本代表の後藤希友(ごとうみう)選手(20)-トヨタ自動車所属-の金メダルを、河村市長は自分の首にかけるよう求め、笑顔で音が聞こえるほど強く噛みつきました。
他にも「ええ旦那をもらって…」「恋愛禁止かね?」などと話しを振り、その一部始終が報道されると、多くの批判の声が集まる事態となりました。
河村市長は同月16日に記者会見を行い、自身の給与3カ月分(合計約150万円)をカットする意向を明かしています。なお、本日現在辞職する旨の話は表明されていません。
■市長から市職員に向けた謝罪文でさらなる批判も
名古屋市役所で働く人たちも決して快い気持ちではないと察するのは容易だと思います。
報道によれば、市役所には発言から約2週間の間に1万5千件にも及ぶ電話、メール、手紙による抗議・クレームが届いているようです。
これでは市長に対する風当たりは市役所内部からも強くなりそうですね。
同月23日、市長は名古屋市職員に対しても自筆謝罪文を配りながら頭を下げたようです。しかし、今度は市職員からも抗議やクレームが来るのでは…?という自筆文書。
実際の文書をご覧ください。
<河村たかし市長自筆の謝罪文>
一目で読めるように赤字で補正していますが、赤字を気にせずに読もうとすると非常に読みづらいと思います。
謝罪の意をこめて書いたものとしては、非常に疑問に残ります。
・文字が走り書きである
・「迷惑」や「謹んで」という漢字が使われていない箇所に対する違和感
・書いている紙がノート?ルーズリーフ?
・下から3段目の「ございます。」の「ご」の書き損じをそのまま使う
など、とても誠意が伝わる謝罪文ではないと感じてしまいますね。
■名古屋市長の事例から考える謝罪の意味
そもそも謝罪とは何なのか。自分がおかした間違いをきちんと認識したうえで謝罪するというのが本来の姿ではないでしょうか。
誰かから謝罪した方が良いと言われたから?それとも事の収拾をつける必要があるから?
そのための謝罪に果たして意味があるのでしょうか。
仕事上のミスや公務員としてのミスに対して、減給や厳罰があることはオーソドックスだと思います。
しかし、「私は罰を受けるため減給を受け入れました。この度は申し訳ございませんでした。」これは本来の謝罪ではないと思ってしまいます。
今回の名古屋市長の謝罪は、とても謝罪だと思うことはできません。
平たく言えば「間違えたことを認めます。」と言っているだけで、謝罪は行っていないのではないかと思います。
今、「謝罪」というものがスキルであるとさえ認識されています。
ネット上には、上手な謝り方や正しい謝罪の仕方、謝罪のプロなどというものが存在しています。確かに、誠意を示すための謝り方の技術はあるでしょう。
しかし、間違いを受け入れた後に、本当に悪いことをしてしまったと思う“改心”の必要性を説くような話はすごく少なく感じます。
企業やグループ・組織などにおいて、社員が間違いを起こし、本当に謝罪したいという意思の元、上層部役員がしっかりと謝罪するというパターンもありますので一概には言えませんが、さまざまなニュースを見ていると、過ちを振り返り、何がいけなかったのかをきちんと理解したうえで、悪いことをしてしまったと思い直し、改心した末に謝罪をしたいと思っているという意思が見えないことが多々あります。
私は、2010年代から不祥事や謝罪というニュースが増えてきたと思っています。
インターネットの普及、SNSの利用者数の増加など、さまざまな要因があると考えられますが、1人1人の言動がより多くの人に簡単に届くようになっているのだと思います。
だからこそ、間違いをした後の本当の謝罪とは一体なんなのか、そんなことを考える機会が増えているなと実感しています。
神奈川県生まれ。心理カウンセラー・キャリアコンサルトの有資格者。うつ病 / パニック障害 / 適応障害 / 依存症 / などの精神疾患から仕事や日常的な悩みなどを幅広くカウンセリング活動を行う。社会問題から心理学関連、カウンセラー活動記録、研修・教育、など人や仕事に関わるジャンルでライティングを行う。趣味は、アニメ鑑賞、競馬、散歩。採用コンサルタント、就業ケアマネージャーとしても活動。