2022年8月20日、衝撃的な事件が報道されました。
女子中学生が見ず知らずの母と子を包丁で切りつけたというものです。
こちらのニュースは非常に多くの媒体から情報が発信されていますので、目にしている人も多いかと思います。
この事件の加害者について、わかっていることをまとめると以下のようになります。
―2022年8月20日― ・塾に行くと言って家を出たが、塾には向かわずに新宿方面の電車に乗った。 |
初めから包丁を持ち歩いていることや、新宿から人目がつかないような場所を探していること、その日に人を殺そうとしていたこと。
情報を客観的に理解すると、ある程度の実現性や計画性を伴う犯行だということが伺えます。
続いて、報道されているこの中学3年生の供述は以下の通りです。
「死刑になりたいと思って、たまたま路上で見つけた親子をナイフで刺した。」
「家族を殺そうと思い、その前に人が本当に死ぬのか試したかった。」
「塾に行きたくない気持ちがあり、駅に向かい新宿方面の電車に乗った。当日、人を殺そうと決めた。」
「包丁は自宅から持ってきた。」
このように並べてみると、行動と言動が一致しないものが複数見受けられますが、実際に殺意を持って人を切りつけているという状況ですので、一種の興奮状態または精神的な錯乱が起きていると考えるのが妥当かと思います。
いくつかの矛盾点を現実的に判断するのであれば、この中学生は何らかの理由で家族を殺したいと思っていたが、家族を殺すことよりも先に他人を殺そうとしていた。
そのため、常に包丁やナイフを持ち歩いていたといったところでしょうか。
当日犯行に及んだのは、”塾に行きたくない”というきっかけを自分の中で作ったからであり、塾に行く・行かないはそこまで深い理由になっていないと判断できます。
「本当に死ぬのか試したい」という供述と、刺した人間が死んだかどうかを取り押さえ直後に何度も確認していることから、“本当に人を殺せたのか、殺せるのか”ということが最も大きな目的になっているように感じますね。
しかしながら、ここで他人を先に殺して捕まれば、家族を殺すことはできないと誰もが理解できます。
そうなると、必然的にこの中学3年生は“人を自分の手で殺せるかどうか”を確かめる、1種の立証行為が行動原理と言えそうです。
他殺と自殺
ここまでニュースを確認しながら情報を集めていた私は、カウンセラー活動をしている中で見てきたある状況と非常に似ていると感じました。
それは自殺です。
この中学3年生はなぜ人を殺そうと思ったのか?
その行動原理から犯行動機を考察しようとしたときに、自殺をする人との思考的類似点がありました。
以前、FABOnews.で紹介した自殺の種類に関する記事があります。
詳細はこちらの記事からご確認ください。
・心理カウンセラーが教える 自殺の種類とその傾向
自殺を4つの種類にわけると、
1.自己本位的自殺(じこほんいてきじさつ)
→強い孤独感
2.集団本位的自殺(しゅうだんほんいてきじさつ)
→集団との強い結びつき
3.アノミー的自殺(あのみーじさつ)
→経済的な変化や困窮など
4.宿命的自殺(しゅくめいてきじさつ)
→言い伝えや伝承など
このように分類されることが一般的です。
これに今回の中学3年生を当てはめると、犯行動機の趣旨は「死刑になりたかった」「家族を殺そうと思った」という発言に強い思いがあるように感じます。
何らかの理由で死にたいと思ったが、それが自殺ではなく、他殺をすることで自分が死刑になるという方向に進んでいったのではないか。
つまり、自殺念慮のように「死にたい」ということが根底にあると考えられます。
この中学3年生は、自殺ではなく他殺を選んだだけであるとも思えてしまいます。
殺人を行う人と自殺を行う人は同じ境遇の可能性がある
数多くの自殺願望がある方から話を聞いてきた筆者は考えました。
仮に、自殺願望がある人と殺人衝動がある人のなかで、同じような境遇を経験している場合。
行動や示し方が『自殺』もしくは『殺人・犯罪』にすり替わっただけである可能性が高いのではないかと。
もしこの仮説が正しければ、殺人事件の数はこれからもっと増加し続けるのではないか。
そんな風に考えられます。
自殺者数はここ10年間減少傾向にあると政府が発表していますが、”明確な自殺”である場合のみカウントされていて、カウントルールは改正されています。
そのため、実際に自殺者数としてはパンドラボックスとも言えます。
人間は自分たちが思っている以上に臆病で弱い生き物です。
なので「死にたい」「死んでやる」と思っていても、実際に行動できる人の数は多くありません。
しかし、自分が死ぬよりも他人を殺す方が楽だと思った場合、自殺よりも多くの殺人が行われる可能性が想定されます。
満たされていない社会生活を送る人が多い今の日本で、「自分が死ぬくらいだったら人を殺してみよう」という考えが先行した場合、殺人事件や殺人未遂事件の歯止めは効かなくなります。
治安が良い国と悪い国
それでは、事件数が多いブラジルと単純比較してみましょう。
▶近年ブラジルの10万人あたりの自殺者数は6.9人(約7人/10万人)
▶近年ブラジルの10万人あたりの殺人発生数は30.7人(約30人/10万人)
自殺者数より殺人発生件数の方が高い状態です。
対して日本はというと、
▶近年日本の10万人あたりの自殺者数は15.3人(約15人/10万人)
▶近年日本の10万人あたりの殺人発生数は0.24人(約1人以下/10万人)
圧倒的に自殺者数の方が多いという結果になっています。
(参照:https://www.globalnote.jp/post-1697.html)
もしこれが逆転して、ブラジルのように自殺より殺人の方が心理的に容易な世界観なってしまったら、治安が悪いと言われる国々と同様の状況になる可能性があります。
さいごに
皆さんは「死にたい」「消えたい」「死んじゃったほうがいいかな」そういった感情を持った経験、ありませんか?
これが「殺しちゃおっかな」「刺しちゃおっかな」「突き落としちゃおっかな」こんな風に変わってしまった場合、それを意識的に止めるのは自殺よりも難しいと思います。
とんでもない極論だと感じる方もいるかもしれませんが、今の日本は先進国と言うには恥ずかしいほどのGDPや経済成長率を示しています。
「文化や人種が違うから日本は大丈夫」と思う方もいるかと思います。
しかし、実際に貧困と言われる人が今以上に増えれば増えるほど、格差社会が広がり、先述しているブラジルのような環境になってしまうと考えるのは非現実的でしょうか。
こういった事件のニュースが流れるたびに、心理カウンセラーとして『自殺』『他殺』に結び付くような社会から脱却するために必要なことを考えさせられます。
神奈川県生まれ。心理カウンセラー・キャリアコンサルトの有資格者。うつ病 / パニック障害 / 適応障害 / 依存症 / などの精神疾患から仕事や日常的な悩みなどを幅広くカウンセリング活動を行う。社会問題から心理学関連、カウンセラー活動記録、研修・教育、など人や仕事に関わるジャンルでライティングを行う。趣味は、アニメ鑑賞、競馬、散歩。採用コンサルタント、就業ケアマネージャーとしても活動。